道の駅のはじまり|親父が語ったトラック運転手の昔話

古びたトラックの窓越しに見える運転手の姿 俺の親父の話
古びたトラックに乗り、窓越しに外を見つめるベテランドライバーの姿

親父について

私の親父は現在85才。
特に大きな病気もなく、元気に暮らしている。

母は10年ほど前に他界し、いまは一人暮らし。
寂しいかと思いきや、そんな様子はなく、むしろ「忙しい」という言葉をよく口にする。
何がそんなに忙しいのか? それはまた別の機会にでも。

私は2025年現在57才。親父は私より28年も長く生きているわけで、その分、宝のような昔話が山ほど眠っている。
時代背景からして、私ですら想像できないような「とんでもないこと」が普通にあった時代。
今の若者からすれば、まさに未知との遭遇やろう。

自叙伝とまではいかないけれど、そんな親父の話を少し皆さんにもお裾分けしようと思う。
今回の記事は、その記念すべき第一弾になる。

はじめに

小さい頃から、親父はよう昔話をしてくれた。
その中でも妙に耳に残ってるのが「道の駅」の話や。

いまや観光の途中に立ち寄ってソフトクリーム食べたり、地元の野菜を買ったりするスポットになってるけど――
あれ、最初からそういう場所やったわけじゃない。

ある晩、タバコをふかしながら親父はこんな風に話してくれた。

親父の語り

「そういうもんやな。組合の中でもいろいろあったんや。
ワシら運転手はな、トラックの運転台でタバコ吸うな言われてな。
ほな、どこで吸うねん? 倉庫の敷地でも怒られるし、よその庭先でもアウトや。
しゃあないから道端に止めて一服や。

飯も同じや。『どこで食っとんねん?』って言われても、道端に止めて弁当広げるしかあらへん。
トイレ? 休憩? そんなん車の下で済ませる奴もおったで(笑)

せやから組合で言い出したんや。『運転手が安心して休めて、飯食えて、トイレも行ける、車も点検できる場所が要る』ってな。
それが道の駅の始まりや。あれは最初、国が運転手のために作ったもんなんや。

ちょうどその頃、高速道路もできだしてな。法律で『1時間に1回は休憩と点検』て決められた。
それで休憩所が整備されていったんや。

今やみんな道の駅で買い物したりしてるけど、ほんまはワシらトラック運転手の場所やったんやぞ。

昔は笑い話みたいなこともあった。4トン車に10トン積んで走っててな、ポリさんに自転車で追いかけられて(笑)。
『もっと走れや!』って言われても、『いや無理やろ!』って返してな。
そんな時代やったんや。」

私の感想

この語りからすでにお分かりだと思いますが、父は長年、長距離ドライバーとして日本全国を走り回っていました。

私が知っている映画「トラック野郎シリーズ」。最初はあれをフィクションだと思っていたんです。
ところが親父の話をたまに聞いていると――いやいや、あれはノンフィクションやなと思えてくる。
確かに“盛ってる”部分はあるでしょうが、一番星の桃次郎は絶対にいたんだと思います。

私の大好きな俳優、菅原文太さん。あれは本当にハマり役やったなと思う。
「そんなの知らないよ」――今の若い人ならそうかもしれません。
でも機会があれば、ぜひ観てみてほしい。

人情って何か?
その答えが詰まった、一番の教科書じゃないかと思うんです。
ああ、また観たくなってきたな、この映画。

おわりに

今の「道の駅」は観光やドライブの寄り道の象徴みたいになっとるけど、
その背景には、汗だくで働いたトラック運転手たちの切実な声があった。

古びたトラックの窓越しに道の駅を見つめる運転手

親父の話を聞くと、普段何気なく利用している場所にも「物語」が詰まっとるんやなぁと思う。
次に道の駅で休憩するときは、ちょっと親父の顔が浮かんでくるかもしれん。

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